□ 追悼番組「ありがとう阿久悠さん
〜日本一のヒットメーカーが生んだ名曲たち〜」を観て聴いて

毎日、毎日机に向かってスケッチをしたり、
建設業を中心とした経営改革の課題を抽出し
たり経営戦略のスキームを考えたりして一日
が過ぎていきます。時には街の活性化や店舗
のコンサルティングで店主の方々とわいわい
ワークショップをややりますが殆どが孤独な
作業です。そんな時に慰めてくれたり僅かば
かりの勇気を与えてくれるのはやはり音楽み
たいです。
阿久悠さんが亡くなった。数々のヒット曲を世に送り出した阿久悠さんが亡くなった。
開催期間中「甲子園の詩」で感動を与えてくれたあの阿久悠さんはもういない。
8月1日の未明になくなったと朝TVで聞いたときには驚いた。本当に驚いた。
間もなく夏の甲子園が始まるという時に彼はいない。今夏の高校野球の感動は誰が伝えてくれる
のだろうか?
彼の詩も小椋佳や、谷川俊太郎等プロの詩を読んでいつも思うことだが、詩のことば一つ一つは何
気ないありふれた易しいフレーズなのに、その集合体である文章になるどうしてるとあのように心を打
つ感動的な詩になるのだろうか。なかにし礼しかり谷村信司、中島みゆきの詩を聴いてもそう思う。
追悼番組で、彼の詩を最も多く作曲した都倉俊一氏が「まるでおもちゃ箱をひっくり返したような」こと
ばが次々に出てくるようだと表現していたのが印象的であった。
特に彼の数多くの詩の中でも印象に残った詩は人それぞれであろうが、私にとっては「北の蛍」の
一節が心に残る 。
♪もしも私が死んだなら、胸の乳房を突き破り 赤い蛍が飛ぶでしょう ♪
このフレーズをはじめて聴いた時、まるで英泉か歌麿のあぶな絵のような強烈なシーンが目に浮か
んだことを思い出す。
次にあげなければならないのは「また逢う日まで」である。丁度私が設計事務所を開設したばかりの
頃のヒット曲である。筒美京平の軽快なメロディに乗ったフレーズは本当に青春の真っ只中の懐かしい
曲で、中学校の同窓会の最後はいつもこの詩で閉めたものだ。
♪ また逢う日まで 逢える時まで
あなたは何処にいて 何をしているの
それは知りたくない それは聞きたくない
たがいに気づかい 昨日にもどるから♪
その他にも挙げればきりがない。下手な私が歌える曲だけでも
「時の過ぎ行くままに」 「時代遅れ」 「もしもピアノが弾けたなら」 「あの鐘を鳴らすのはあなた」
「街の灯り」「津軽海峡・冬景色」・・・・・・・・・・・・・・・・・・本当にきりがない
「棄てるものがあるうちはいい」 「舟唄」 も忘れてはいけない。
5000曲以上の作品を世に出したといわれているが、その内私は
どれだけ歌えるのだろうか?
どれだけ知っているのだろうか。
いつ頃か忘れたがNHK教育TVで深夜に作詞についてシリーズで
彼が語った番組を観たがもう一度放送してくれるとありがたいが・・・・・・・・・・。 (阿久悠公式HPから転写)
今日も甲子園で高校野球が行われているが、スポーツニッポンの裏一面を開いてみても
彼の「甲子園の詩」はない。
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